【海外で子育ての原点】①香港でショックを受けた日本の幻想

 

いま私は、子供の幸福度世界一といわれるオランダに教育のために住んでいます。

そこで、私たちの子育てについて書いてみたいと思います。

 

世界基準で動く都市・香港で受けたショック

 

私の息子は香港で生まれマカオ、マレーシア、オランダと家族で移動しています。

 

世界基準の香港にショックを受ける

 

もともと、私が海外に出て行こうと思ったのは、当時19歳の時の香港旅行がきっかけでした。

こんなに国際的な都市がアジアにあるのか・・・とショックを受けたのでした。

 

当時はバブルの勢いもまだあり、日本がすごいと言われていた時代でしたので、何も疑問に感じず東京は一番アジアでは進んでいると思っていたのです。

 

しかし、両替のために銀行に行ったら、全く知らない世界が広がっていました。

まず、当時の香港は中国に返還前でしたからイギリス人も多く住んでいて、金融街はイギリス人であふれていました。

 

銀行も世界基準で動いていて、ATMも当然のように24時間稼働していて、手数料も無料で引き出せました。

外貨での預金もできました。

 

そして、銀行内では株式市場の値動きを見ながら株式の売買をする人たちがたくさんいました。

銀行で株式の取引はできるのか?と不思議に思いましたし、私の知る日本の銀行とは全く違ったのです。

 

街では英語が普通に使われていて、バスに乗ってもタクシーに乗っても英語が通じます。

失礼な話ですが、日本でさえ英語は通じないのに、アジアの香港でアジア人の顔をした香港人が英語を使いこなしていることに非常にショックを受けました。

 

香港と日本の違いについて模索する

 

と同時に、香港という街に興味を持ちました。

 

私は大学生でしたが、大学にはほとんど通わずアルバイトをしてお金を貯めては、香港に通うという学生生活を送ることになりました。

 

何度も通うようになると、自然と同世代の友人ができるようになりました。

街を歩いていても、お店に入っても日本語で話しかけられる機会が少なくなかったので、友達ができていったのですね。

 

当時は日本の経済が素晴らしかったので、香港人に日本語学習がブームだったのです。

今では信じられないですが、香港大学で一番入学が難しい学部は日本語学科でした。

 

私は香港に魅せられながら、

「香港と日本の違いは何だろう?」

と考えるようになっていきました。

 

 

次回へと続きます。

 

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