【なぜ海外移住したのか】19ー国境を越えて経済圏を形成するというデジャブ

 

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街には欧米人よりもアジア人が増えた香港

 

香港が返還され今後の香港の将来に一抹の不安を感じながら中国の成長に期待する構図。

 

今思うと心配するほどのことではなかったと思います。

中国が香港の繁栄を自ら破壊する理由は無いですし、お互い、上手に活用していくことのメリットが大きいです。

 

返還を境に一気に欧米人の数が少なくなり、目に見えて街にはアジア人が増えていきました。

今でも欧米人を目にする気がするかもしれませんが、返還前の香港は街に欧米人があふれていました。

本当に特殊なアジアの都市だったと思います。

 

欧米企業の特に金融機関のアジア統括本部のシンガポールへの移転は目に見えて行われ、どんどん香港の大陸化が進んでいきました。

と同時に、香港の隣のシンセンの香港化も加速していきました。

 

はじめてシンセンに行ったのは1993年。

香港から鉄道で羅湖に行き、歩いてイミグレーションを渡り、中国入国時に短期のビザを取得し、中国に入国しました。

 

あのときの光景は今でも目に焼き付いています。

国境を超えるだけで、こんなに貧しい空間になってしまうのかと。

人は多かったですが、当時は共産圏独特の暗さといいますか。

電気の消費が圧倒的に少ないのです。

 

イミグレーションも香港側から歩いて5分程度の中国側のイミグレーションは暗くて陰湿な雰囲気で。

イミグレーションを出たすぐの広場には鄧小平の肖像画があり、スローガンが掲げられていました。

 

テレビで見る共産圏。。。

街にあふれんばかりの人々はほとんどが無表情で目に生気がないように感じられ。。。

率直な感想は気味が悪くて早く香港に戻りたいというものでした。

 

しかし、香港返還もありシンセンは大きく成長していきます。

国境を超えるだけで貧富の差がある。

 

そして、国境があっても一つの経済圏の形成は可能。

私はジョホールバルに進出しましたが、この香港とシンセンの関係を見てきたからだと思います。

 

当時も今でも香港人でシンセンをバカにする人がいます。

犯罪が多く行きたくないという人もいます。

 

これは、シンガポールから見たジョホールバルと同じです。

デジャブのように香港返還前後に経験し、目にした光景がジョホールバルで再現されています。

 

もちろん、中国ほどの人口と世界中から投資が集まる規模ではありませんので、急成長していくということではないですが、確実に成長していくというイメージは非常に持ちやすいですね。

香港返還を機に成長していくシンガポールが、隣のジョホールバルを飲み込んでいく。

一つの経済圏ができてくるだろうと思います。

 

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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る

 

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