【海外移住をしてみたら】【北京編】4―自分の人生を真剣に考えることになったSARS
信頼できる医療体制があると安心できる
海外に住むと医療というものは非常に気になります。
自分が体調の悪い時に、外国語で自分の病状を伝えないといけません。
これが意外にストレスです。
また、その病院のシステムがわからないと病院内で右往左往することになります。
北京には中日友好病院という日本のODAで作られた病院があります。
日本語のできる医師もおり、非常に日本人には優しい病院だと思います。
やはり、医療面に不安があると海外生活を安心して過ごすわけにはいきません。
私自身も北京で日本語で診察を受けられることに非常に心強かった記憶があります。
2002年に海外を離れ、北京、香港、マカオ、ジョホールバルと移動していますが、1年程度過ごさないと身体は完全に適応しないなと思います。
それまでは、ちょっとしたことで体調を崩しやすくなったりします。
今住んでいるジョホールバルは、1年間気候は温暖なので、他の都市ほどストレスを感じませんが、1年間暑いということは未経験なので、それなりに負荷はかかるのではないかと思います。
そのようなときに信頼できる医師が現地にいると非常に安心ですね。
SARSを機に人生を真剣に考えるようになる
海外でも日本語で安心して医療を受けたいという思いは、もしかしたら海外移住者の中で非常に強い方かもしれません。
自分は2002年に北京に渡りましたが、2003年の春にSARSがありました。
この時の体験が自分の人生観も大きく変えました。
2002年に将来に希望をもって日本を離れた自分が、本当に2003年の春には打ちのめされました。
実は、2002年の12月頃におかしな病気が流行っているらしいという噂は耳にしていました。
もちろん、一般には出回っていない情報でした。
ただ、あくまでも噂ベース。
自分も耳にしましたが、特に周囲に話したわけでもありません。
そして、2002年2月に香港に出張で訪問していた広州の医師が宿泊先のメトロポールホテルで発症。
一気に世界中にSARS問題がかけめぐりました。
このメトロポールホテルは、自分が初めて香港に旅行した時に宿泊したホテルで非常に思い入れもあり。。。
このSARS騒ぎで閉鎖に追い込まれています。
当時は今のようにインターネットがここまで普及していたわけではなく、情報が圧倒的に足りませんでした。
北京の街からも人が消えました。
感染の原因が特定できず、とにかく外出禁止。
他人と接触しないことが奨励されていました。
街に出ても本当に一人も歩いていないのです。
このとき感じた恐怖と孤独感は今でも鮮明に覚えています。
海外に希望をもって出た行為自体が失敗だったのではないか。
日本に帰るべきではないか。
中国はこれで壊滅的なダメージを受けて、経済成長すらおぼつかなくなるのではないか。
全てのことが裏目に出ているような気がしていました。
姉は香港に住んでいたので、香港の政府の発表は毎日聞くことができました。
そして、中国政府の発表との違い。。。
東日本大震災の原発事故の時もそうだと思いますが、このようなときは政府の発表を信じて良いのかという気持ちになります。
そして、北京で知り合った友人のおじいさんがSARSで亡くなりました。
自分は父方も母方も自分が生まれる前におじいさんとおばあさんは亡くなっているので、実は身近な人が亡くなるという経験がありませんでした。(ご健在の場合も多いでしょうけど)
本当にショックでした。
初めて死に直面して、死の恐怖も味わいました。
ただ、このとき自分の中で何かがはじけました。
人間って簡単に死ぬということと、人間は非常に無力な存在だということ。
この時点から自分が今まで持っていた様々な欲望や欲求が消え去りました。
自然体がすべて。
自分のやりたいことを思いっきり取り組む。
後悔しない人生を送る。
自分の中で人生設計を真剣に考えるきっかけにもなりました。