【なぜ海外移住したのか】14ー北京大富豪が子育てのために選択したライフスタイルとは?
北京大富豪との付き合いは気付かされる事ばかり
最初はスパイかと思うくらいでしたが、徐々にお互いの家族を紹介するようになり家族ぐるみでお付き合いするようになりました。
週3、4回は会うようになり中国に対してや世界情勢など話すようになっていきました。
香港の視点でしか中国を見ていなかった自分が中国側からの考え方も意識するようになりました。
彼との出会いから物事には常に両面あり、一面でしかとらえないことは非常に理不尽であることを意識するようになっていった気がします。
常識って所詮自分の経験や環境で構成された考え方なのではないかと。
共産圏の視点というものには直接触れたことがなかったので新鮮だったというのもあったのかもしれません。
たしかに、香港はイギリスの貿易不均衡を解決するためのアヘンの取引に反発して戦争が起こり、中国が負けたために香港が植民地になってしまったわけです。
ここに正義は無いですよね。。。
返還されてしかるべき。。。
ただ、当時の香港の方が資本主義で自由もあり中国に返還されることへの恐怖感から、その点は論議されなかったというか。。。
今でこそ香港は民主主義ですが、返還が決まるまで香港人には選挙権は無かったと記憶しています。
香港は自由で人権もあると訴えていましたが、選挙権も無く植民地としてイギリスに支配される社会構造だったわけです。
返還を前に急きょ選挙権を香港人に持たせ、民主主義の仕組みを作ったのでした。
そのようなイギリスの政策を中国は冷静に見ていたのだろうと思います。
今まで自分が常識だと思っていた概念がフラットになっていく経験をしていきました。
といっても、政治的な話は多くすることはなく、中国人のビジネスの考え方を教えてもらうことの方が圧倒的に多かったですが。
今の私のビジネスの考え方の礎になっていると言っても過言ではありません。
そして、中国人のビジネスの考え方を教えてもらう中で、家族の重要性、子供の教育の考え方なども学んでいきました。
中国は歴史的に日本の先生であった時代が長いので、基本的な考え方で共鳴できる点が非常に多いです。
比喩や四字熟語も中国の文化を背景にしています。
これらが自分にとって親しみやすかったのかもしれません。
子供への教育の考え方は、自分が海外に出る直接的なきっかけになりました。
子育てのためにアーリーリタイアという選択肢
私に大きな影響を与えた北京の方。
彼とのやり取りは英語だったのですが、非常に綺麗なイギリス英語を話していました。
分厚い英語の辞書をどこのページでも好きなページを開かせ、どの単語でも質問してみても全てわかるという英語の専門家でした。
世の中にはすごい人がいるなあと。。。
3歳からイギリス人の家庭教師がついて毎日英語の学習をしていたそうです。
大学時代は文革でほとんど勉強しなかったそうですが、英語は毎日触れていたようですね。
文革が終わり国費留学制度が復活して、イギリスの大学に留学したそうです。
英語は全く困らないレベルでしたから生活に支障があるということも無くスムーズに講義に参加できたそうです。
どういう仕組みかわかりませんが、1年間の課程を8か月とか10か月とかで終わらせていったと自慢していました。。。
当時の中国は貧しかったとはいえ上流家庭の方ですし、何不自由なく育った方ですので全てにおいて自信満々に振る舞っていたのだろうと想像できます。
しかし、イギリスという国は中国人に対してアジア人に対して優しくありませんでした。
3歳からイギリス人の家庭教師がついてたのですからイギリスに憧れというものもあっただろうと思います。
しかし、どんなに英語ができようとも差別という壁が常に大きく立ちはだかり、ヨーロッパとアジアの現実を知ることになりました。
彼はイギリスの生活を通して、どんなに語学ができようともアジア人はアジアで生きていくべきだという考え方になっていきました。
彼は中国に戻ったあと、得意の英語を生かしてデベロッパーの海外駐在として中国の政府案件を手掛けていきますが、人気のある欧米は担当せず、アジア、中東エリアの統括を希望して赴任していました。
そして彼は、子供には外国語は必ずネイティブ並みになるように育てたいということと、アジアで通用する人材にしたいという考えに至ります。
そして、アジアの国々の中でどの国かと考えた時に日本を選んだのでした。
中国は反日のイメージが強いですが、日本の高度成長を目の当たりにして、日本にあこがれや敬意を抱いている方も実は非常に多いです。
海外の映画が中国に本格的に輸入されたときも、日本の映画というのは非常に人気で高倉健さんなどは中国人のアイドルです。
話がそれましたが、英語は学校教育や家庭教育でできるとして、アジアの言語を身に付けさせたいと日本に来たのでした。
お子さんが小学校5年から大学を卒業するまで日本に家族で滞在していました。
それにしても、毎日プラプラしているので何をしているのかと思っていましたが、このような生活を送るために39歳でアーリーリタイアをしたのでした。
子供の教育の為に国境を越えアーリーリタイアまでしてしまう。。。
当時は90年代。
日本でもアーリーリタイアという概念はほとんど知られていなかった時代です。
このような生き方があるのかと大きなショックを受けました。。。
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【なぜ海外移住したのか】01ー小林克也氏との出会いで世界を知る