学校に行く意味を家族で考えてみたい
オランダのルッテ首相の会見があり、12月15日から実施されているロックダウンが2月9日まで延長されるとのこと。
息子の学校は引き続きオンライン授業。
昨年の3月に初めて取り組んだオンライン授業は先生も生徒も手探り状態でした。
今ではすっかり慣れてリラックスして授業が展開されています。
生徒も多国籍ですが、先生も多国籍。
授業もお国柄が出るのか見ていて面白いです。
ある生徒はクリスマス休暇に自国に戻り、まだオランダに帰らず授業に参加していたり。
全員が顔出しをして参加する授業もあれば、先生も含めた全員が顔出しせず授業が進む科目も。
顔出しの有無に関しては偶然か先生の国籍が一致しています。
オンライン授業という非日常の対応にも厳格なルールを作るのか、非日常であるから、それぞれに任せるのか、学校の姿勢も面白い。
そして、授業の充実とは何をもって評価するのかも考えさせられます。
私も学校で各科目ごとに一冊もしくは二冊の教科書を一年かけて学んでいましたね。
読み物の分量としては一日で読み終わります。
内容が濃いのか薄いのか。
全てを正しく理解し記憶することは難しいかもしれないです。
正しく理解し、更に思考を深めることは更に難しいのかもしれません。
一方で先生が授業を進めるスタイルでどれだけの生徒が血となり肉となる学びの時間にできているのか。
オンラインでもオフラインでも聞き流している時間が多いのではないか。
学校は勉強以外にも学ぶことがあるとは言うものの、義務教育はほぼ全ての国民が参加する一大イベントですが、どれだけの効果を上げているのか。
割く時間も考慮した費用対効果といいますか。
大人が効率よく働いたり生活するために子供を預ける器になっているとしたらもったいない。
生徒が主体的に学びたくなる学校や環境が本当に求められるなあと思います。
これは学校制度だけの問題ではなく、家庭でもなぜ学校に行くのかという意思統一が必要かもしれません。
学校に行く意義を明確にしないと、大切な時間を惰性で過ごしてしまうことになります。
今日は何を学ぶぞ!と意気込んで学校に行くくらいでないと、社会に出てからも惰性で生きてしまうかもしれないです。
今日は何をしないぞ!でも良いのですけど。
タイムマシンがあるなら、惰性で学校生活を過ごした自分に意識する大切さを伝えてあげたいですね。