国際自由人が考える「自由に生きる」ということ(3)

自分に正直に生きる人たちとの出会い

私自身、他人の評価を気にせず生きてきたと書いていますが、
そうはいっても見えない制約を受けていたのだなと思わされたのは海外に住んでからでした。

海外の人たちは、とにかく自由で自分に正直な人ばかりでした。

自分のやりたいことはやるし、感情表現も豊かで、非常にシンプルな人ばかりでした。

自分の気持ちに正直に生きてきたつもりでしたが、それでも、既存の私のイメージはありますし、
親や友人との関係も影響がなかったわけではないはずです。

たとえば、私が何かをしたいと言ったときに、
肯定されても否定されても、反応があるだけで決断するときに何かの心理的影響はあるわけです。

肯定されれば、やって良いのだと思いますし、
否定されたら、なんでかな、そう言われてもやりたいからやろうとか。

喜ばれれば、喜んでもらったことに対して必ず感じるものがありますし、
悲しがられても、悲しがられたことに対して必ず感じるものがありますね。

その感情というのは、周りから少なからず影響されて生まれた感情ですね。

ですので、他人を意識しないといっても限界があるわけです。

過去にとらわれない新しい自分をスタートさせて気付いたこと

海外に住んでみると、今までの私を知らない人ばかり。

既存のイメージが、全く関係なくなります。

知り合う人は全て初対面なのですから、初めて会った時からがイメージの構築のスタートです。

日本人同士ですと初対面でも、出身地や学歴、職歴などで
相手を知らず知らずに評価したり、イメージを構築してしまいます。

しかし、外国人には北海道でも東京でも沖縄でも日本人でひとくくりです。

学歴にしても、出身校を伝えても外国人には入学の難易度は伝わりません。

日本で手にした勲章も肩書きも、もしかしたら悪いレッテルも全く関係ありません。

相手の目の前にいる私自身しか知り得ないのです。

そして、ほとんどの人は私に興味がありません。

私が何を考えようが、何をしようが全く干渉されることもないのです。

海外に住み始めて、全てを手放して一個人として生きている感じがしました。

生まれて初めて、何の制約も無い人生を手に入れたような気がしました。

自分の心に正直に生きる。

このシンプルな生き方に気づいたときに、
人は自由に自分の人生をデザインして生きていくべきではないかと気づいたのでした。

そして、国境を意識しない生き方という考えに至ったのです。

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